昔は南海電車で和歌山港から
小松島汽船に乗り徳島本線で
当時私には珍しかった
(京阪は電車、城東貨物はSL)
トラックみたいなエンジン音の
ディーゼル機関車の列車で阿波加茂駅まで…
当所は山の上まで歩きでした(私は抱っこでしたが…)
真ん中下の大きな家屋が
絵堂小学校で今年、親戚の子が卒業したら廃校だそうです~
寂しいなぁ。。
※昔は茅葺屋根が殆どだったような~
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此の地区では有名な
桑内大師さん
※建物は普通家屋様式
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シャクナゲ満開!
※白内方向~
空中散歩のように~
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手水鉢
※乱積みの石垣
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寺の鐘楼?
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段々畑
昔は夏は田圃でした。
タバコも栽培されていました。
※見上げても家屋~
初めて夜に下の駅に着いた
都会育ちの親父は
星と家と間違えたり、
家の明かりを目指して
田圃や谷川を真っ直ぐに登っていったそうです。
(当然、泥だらけ…^^;)
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タバコの乾燥蔵
※蒸屋小屋(ムッシャゴヤ)と
呼ばれていました。
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集落の下の家です。
此処までは林道のような道路が、
小学校の頃には有りました。
※こんな(広い)路なら真夜中でも
明かりなしで歩けると~
山の子は提灯でしたが~
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瓦屋根が綺麗です
段差が~~
※意匠も~
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鬼瓦~
日の丸の峰も~
・・丸と言う字名が多く残されています。
山城(砦)の名残でしょうか?
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トタン被せですね。
向こうの雲に隠れた峰は風呂塔山
※平家落人村の祖谷が有名ですが…
そこから2日掛りで落合峠を通って吉野川沿いに出る、
古道の見張りとして、此の地に源氏村が残ったりや
屯田兵の存在も
聞いたことがあります。
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白内(城内)なんて
地名が物語っているとか~
長曾我部氏の侵攻も。
※山の北側(吉野川)には
丹田古墳やの先人の足跡も…
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庵主さんが居らしたと~
地元では庵(あん)と呼ばれてました。
※此処にも鐘と
石碑が~
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約2m程の自然石碑
安永2年
賀茂山講中
天下泰平庄内安全
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あの山の向こうに
吉野川が流れています。
※田圃は休耕田になっています。
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向の山は標高620m程
風呂塔(1402m)の峰続き。
此の山には銅鉱跡遺跡(奈良朝以前)があり、
ふいごのふろで銅を造り、
その滓が塔のように高く積もったのが
この山の語源だといわれている
※ん?ゴマ粒??
パラグライダー
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第二回パラグライディングアジア選手権
にし阿波
※こんなふうに見えるのでしょうね~
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