古/いにしえの面影       其の七百六拾四

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2008年08月09日 土曜日

大阪府吹田市佐井寺Ⅳ(佐井寺)

えいや~!大阪近辺に戻ります。
吹田は内本町辺りを前に回っていますが~
かなり前のデータをば。。

真言宗の佐井寺は元禄5(1692)年の記録には、天平7(735)年に行基が寺より西の山に瑞光を見て、
土中より栴檀の十一面観音像を掘り出し、
この観音像を本尊にして現在の地に七堂伽藍を建てたのをはじまりとし、山田寺と名乗ったとあります。
江戸時代に作られたとみられる縁起には、行基が朝廷に本尊のことを奏上し、
山田大臣が大壇主となって伽藍を建立したことにより山田寺と称するようになったと記載します。
行基が御本尊を掘り出した場所は行基山と呼ばれ、現在は愛宕社が祀られています。

元禄5(1692)年の記録には、かつて境内には七堂伽藍と六坊があったが、
伽藍・五坊が衰退し、残った一坊に本尊や他の仏を移して
雨露をしのいだと記されています。

(吹田市HPより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


昔から栄えた場所なんですかね。
伊射奈岐神社の神宮寺のようですね。

※神社のお隣です。

裏です…^^;
表に回ります~


※石段を踏みしめながら~

七堂伽藍と六十余坊なんて文字も見えます。
碕井山 佐井寺

※昭和42年銘
万博景気が此処にも…

見返れば

※忠魂碑
太平洋戦争の物のようです。

摂津国88霊場
弘法大師44番!

また絵図によると、本堂や護摩堂の位置は変わりませんが、
鐘楼は現在よりも南に描かれ、移設されたことがわかります。
鐘は当地を治めた京都所司代板倉重宗が慶安2(1649)年に寄進したもので、
正保4(1647)年に楽順が寺を中興したいきさつなどを記します。
鐘楼は江戸前期の建築様式であることから鐘と同時期の建立と考えられ、
現存する近世の鐘楼としては大阪府下で2番目の古さです。

(吹田市HPより)


本堂ですね。

※碕井山

正面から~
多くの信仰を集めた本堂

※鬼瓦も~

ふでやさん
まきやさん
単一商売なんですね。

※千住 いはら

佐井の清水は、行基の祈願により湧き出たと伝えられています。
かつてこの水は「おかうずゐ池」に流されていたといい、佐井寺境内に引き込まれ「お香水」と呼んで、
病気の快復、特に眼病に効きめがある霊水として信仰を集めました。
江戸時代、佐井寺は観音
信仰の寺として有名でしたが、境外の裏山には薬師堂があり、
病気を治す仏として信仰された薬師如来を祀っていたことから、薬師信仰の寺でもありました。
薬師如来や観音菩薩と霊水が結びついた信仰のありかたが注目されます。
おかうずゐ池北畔には五衰殿塔と呼ばれる江戸時代においても既に有名であった石塔がありますが、
詳細はその当時からも不明と記されています。

(吹田市HPより)

※他の霊場信仰も~


境内にある薬師堂は、元は現在伊射奈岐神社が鎮座する場所にあったようで、
その移転の時期はよくわかりません。
薬師堂において、病気の原因となる疫病神や邪霊などを胡瓜に封じ込め、
病気平癒を願うという「胡瓜加持」が土用の丑の日に行われています。
庶民信仰としての薬師信仰の一端がみられます。


※多宝塔



※多くの地蔵様
多くの古くからの信仰が~

優しく笑っています。

※東洋の微笑み

日常の悲しみも喜びも
支えにしてたんでしょうね。


袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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