古/いにしえの面影       其の七百六拾参

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2008年08月09日 土曜日

大阪府吹田市佐井寺Ⅲ(伊射奈岐神社)

えいや~!大阪近辺に戻ります。
吹田は内本町辺りを前に回っていますが~
かなり前のデータをば。。

式内社なんですね。
此の地で二社目の伊射奈岐神社さん

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


旧村路地から
参道階段が~

※アブラゼミの大合奏の中登ります。

子供たちがカブトムシ採ってました。
自然が残る鎮守の森。。

※向こうのマンションより高く感じました。

へぇ~と言うくらい
立派な社殿。

※伊射奈岐神を祀り、山田の姫宮に対する奥宮ともいわれる当神社は、
元禄5(1692)の記録には「春日大明神 正八幡 牛頭天王」社とあって、
山田寺(佐井寺)が神主の役目を勤めていたと記しています。
元々当社は平安時代の延喜式に記載の伊射奈岐神社(式内社と呼ばれる)で
あったといわれることから現在の社号となっています。
山田寺境内絵図には、本殿と拝殿は現在本殿が建つ丘の麓西方の奥に描かれ、
遷宮したことが知られ、社殿内の社は享和3(1803)年の建築と伝えられています。
社前に菅廣房の名と「伊射奈岐社一座」と刻む社標石が建っています。
江戸中期の学者並河誠所が、延喜式に記載の神社について、
その所在地や名称が混乱しているのを正そうとして社標石建立を
当時の寺社奉行大岡越前守忠相に願い出たといわれ、摂津国の二十社について担当したのが廣房ということです。
全ての社標石の建立は元文2(1737)年頃に完成することになりますが
、彼はその前年に佐井寺の庄屋の家で亡くなり、神社を望む向かいの丘陵中腹の墓地に葬られています。
なお、社殿右脇に6世紀頃の須恵器窯跡が残されています。

(吹田市HPより)

ずんぐりとした形が
この辺りのスタンダード?


※吽

残念ながら社殿は
新しく再建されていましたが~

※立派な往時の姿が見えそう~

ええ土が出たんでしょうかね。





※遥拝所
 
東方向~
男山八幡宮でしょうか?
伊勢神宮??

おかうずゐ池
農業用水は大切だったんでしょうね。
佐井の清水は
この池に流れ込んだとか。

この神社が周りより高い
ほぼ他も同じ位置関係ですね。
何か法則があるんでしょうか?
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る
Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.