其の七百八拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
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撮影日 2008年08月13日 水曜日 | |||||||||||
えいや~!大阪市内に戻ります。 明治30年11月、大道村ほか13か村により、用水を引くために普通水利組合が設立され、淀川が東から流れ、南に向かって流れていく地点である大道村大字北大道(現在の南江口3丁目)に三千樋が設けられました。 三千樋が設けられたことにより、大道村・小松村を通り、国次町北より三国町・十八條町・新高町・加島町(淀川区)を経て、大和田町(西淀川区)の北に達する本流と、大道町より豊里町字能條を経て、淀川右岸堤防に沿い豊里菅原町・南方・十三を経て塚本に至る支流を持つ、用水引用の大水路ができました。本流と支流の総延長は、14,236間(約26キロメートル)余りにおよび、三千樋は淀川右岸の田畑1,800町歩(約18平方キロメートル)をうるおす唯一の樋門となりました。 (本流水路は、大正6年10月、下新庄で神崎川堤防が決潰したため、瑞光寺前より西へ引江まで一直線に変更されました。)
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