其の七百八拾七 怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。 (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
えいや~!大阪市内に戻ります。 江口君堂は正式には「宝林山普賢院寂光寺」と号し、江口の君が草創したと伝わる。 寺の由緒によると、江口の君は平資盛(たいらのとももり)の息女で妙といい、 平家が没落後、乳母の郷里であった当地に寄寓することになったが、歳月を得て遊女に身を落とすに至った。 1167年(仁安2年)西行法師が天王寺に参拝の途中、この地を通行中、にわか雨に会い、 江口の君に雨宿りの許しを願ったが断られた。法師が歌を詠んだところ、江口の君も詠み返し、 ついに歌を楽しみながら一夜を明かしたといわれている(この問答歌は『新古今和歌集』にも所載されている)。 後に、江口の君は光相比丘尼と名を改め、仏門に入り、1205年(元久2年)寂光寺(江口君堂)を創建したと伝えられている。 なお、大東市にある慈眼寺(野崎観音)では江口の君を同寺の中興の祖であるとか。 『由緒』現地説明版 菩賢院寂光寺
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