柳谷観音道〜
橋本から渡し船で
淀川渡って柳谷〜
の参道と西国街道の交差点
※明治34年銘の道標〜
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西国街道
京都向き
※東方向〜
(橋本への渡し方向
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西国街道
大阪方向〜
※木枠の
窓とドア
懐かしいなぁ〜
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虫籠窓・ガラガラの戸が
良いなぁ〜
※大山崎方向〜
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見返って〜
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大山崎出身の友人御実家所有竹林に伺いました。
今年は、乱高下の気温と猪、猿等の影響で…
地元の方も駄目ですわ〜と諦め顔。。。
オカァサンは優しい顔して、山で遊んできたら〜と。。。
山では近所の方と同窓会状態〜
番傘差して…歩ける位に綺麗に整備された竹林にて。
※藤の花も咲き出しました。
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タケノコ山横を通るハイキングコース登れば…
天然記念物だった大きなヤマモモの木に出会えます。
根元でこの本数に枝分かれしているらしいです。
惜しくも枯れてしまった様ですが、
近くに親戚の仔がいました。
※名神高速道路のトンネル近くでは〜
昔から採石が行われていたとか…
鑿の傷でもと思えば〜
発破だったとか。。。
遊んでいたら、『ドン』と…
よく聞こえたと〜T氏
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撮りテツさんのメッカだそうで〜
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大山崎の山裾には、
大きな木と小さな祠が〜
※JRをアンダーパスした
この道横の水路は
京都と大阪の県境だそうで〜
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お子様には丁度の道〜
Tさんも幼い頃から
この辺りで遊んでいたとか。。
すれ違いステップ付き。
※頭上注意!
ホンマヤネ!!
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この水路の延長線上に
関戸明神さんが有ります。
平安時代に山背国(やましろ)国府が在った時からの
古代摂津国との
関所跡だったとか。
※県境〜
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西国街道に合流します。
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従是東山城国
石標
京都大山崎側から
※大阪府島本町側から
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関大明神社とか関戸明神とも呼ばれる。
覆屋に中に本殿が〜
※手水鉢
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歴史街道〜
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新聞舗さん
トタン看板が〜
※倉内保講中
(エゴマの蔵?)
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一間社流造
和様に唐風を混じえた
鎌倉期の特徴とか。
※桧皮葺き屋根
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「十禅師」というのは、天皇の勅願によって、様々な寺院に置かれていた一種の役僧であり、
鎮護国家の修法等を行った者だとされています。
このような祈りに様々な力を持つと考えられていた「禅師信仰」は、
奈良仏教以降極めて強いものがあり、
彼の怪僧として知られる道鏡も、
やはり祈りに力を持っている「禅師」でした(太政大臣禅師)。
宿舎があったんでしょうか?
神格化??
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西国街道は此処で
一度曲がります。
突き当たりは料理旅館の
三笑亭さん
※先でクランク状に〜
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県境を一跨ぎ〜
※桐の花の時期〜
此処も県境
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