古/いにしえの面影       其の七百拾八

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年05月07日 金曜日

大阪府島本町東大寺〜山崎(関戸明神)

タケノコ採りに行けへん?

で、此処に〜
(こればっか!)

大山崎は古代、中国大陸から大和平野へ「文化」が流れ込む「シルクロードの延長線」上に位置していました。
平城京、長岡京、平安京の外港として淀川水運の要である山崎津(港)があり
山陽道(西国街道)が通る等、水陸交通の要衝でした。

 中世には、八幡宮へ供える灯油としてえごま油の製造・販売を独占し、大きな富を得ました。
また、羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の「山崎合戦」があったことはどなたもご存知の有名な話です。
その他明治時代になるまで、この町は武家政権による統治ではなく、
住民による自治を行なっていたこともぜひ知っていただきたいことです。

(大山崎町歴史資料館HPより)


東大寺の飛び地(領地)なんですね。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


柳谷観音道〜
橋本から渡し船で
淀川渡って柳谷〜
の参道と西国街道の交差点

※明治34年銘の道標〜

西国街道
京都向き

※東方向〜
(橋本への渡し方向

西国街道
大阪方向〜

※木枠の
窓とドア
懐かしいなぁ〜

虫籠窓・ガラガラの戸が
良いなぁ〜

※大山崎方向〜

見返って〜



大山崎出身の友人御実家所有竹林に伺いました。
今年は、乱高下の気温と猪、猿等の影響で…
地元の方も駄目ですわ〜と諦め顔。。。
オカァサンは優しい顔して、山で遊んできたら〜と。。。
山では近所の方と同窓会状態〜
番傘差して…歩ける位に綺麗に整備された竹林にて。

※藤の花も咲き出しました。

タケノコ山横を通るハイキングコース登れば…
天然記念物だった大きなヤマモモの木に出会えます。
根元でこの本数に枝分かれしているらしいです。

惜しくも枯れてしまった様ですが、
近くに親戚の仔がいました。

※名神高速道路のトンネル近くでは〜
昔から採石が行われていたとか…

鑿の傷でもと思えば〜
発破だったとか。。。

遊んでいたら、『ドン』と…
よく聞こえたと〜T氏

撮りテツさんのメッカだそうで〜



大山崎の山裾には、
大きな木と小さな祠が〜

※JRをアンダーパスした
この道横の水路は
京都と大阪の県境だそうで〜

お子様には丁度の道〜
Tさんも幼い頃から
この辺りで遊んでいたとか。。
すれ違いステップ付き。

※頭上注意!
ホンマヤネ!!

この水路の延長線上に
関戸明神さんが有ります。
平安時代に山背国(やましろ)国府が在った時からの
古代摂津国との
関所跡だったとか。

※県境〜

西国街道に合流します。


 

従是東山城国
石標
京都大山崎側から

※大阪府島本町側から

関大明神社とか関戸明神とも呼ばれる。
覆屋に中に本殿が〜

※手水鉢




歴史街道〜



新聞舗さん
トタン看板が〜

※倉内保講中
(エゴマの蔵?)

一間社流造
和様に唐風を混じえた
鎌倉期の特徴とか。

※桧皮葺き屋根

「十禅師」というのは、天皇の勅願によって、様々な寺院に置かれていた一種の役僧であり、
鎮護国家の修法等を行った者だとされています。
このような祈りに様々な力を持つと考えられていた「禅師信仰」は、
奈良仏教以降極めて強いものがあり、
彼の怪僧として知られる道鏡も、
やはり祈りに力を持っている「禅師」でした(太政大臣禅師)。

宿舎があったんでしょうか?
神格化??



西国街道は此処で
一度曲がります。
突き当たりは料理旅館の
三笑亭さん

※先でクランク状に〜

県境を一跨ぎ〜

※桐の花の時期〜
此処も県境
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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