惣門(高麗門)徳川家光奉納ですって。
休憩中〜どちらさま??
※清和天皇貞観元年(859)、南都大安寺の僧行基が、
「吾、王城近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という
豊前宇佐八幡の託宣を蒙り、
勅命により、行基が八幡神を奉じて山崎の地に至った時、
当地で霊光を見、不思議に思って、掘ってみると岩間に清水が湧き出したため、
当地を社地と定めたという。
石清水八幡宮の元社ですって。
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従是西 八幡宮御神領守護不入之所
従是北 八幡宮御神領大山崎総荘
※殺生禁断之地
守護不入所
独立自治地だったんですね。
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大山崎
※常夜燈
油は安心だったんでしょうね。
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奉納馬
三つ杉紋
※かしき石だそうです。
嵯峨天皇の河陽宮のあった頃には山崎橋がかかり河岸に相応寺、
橋の上流には山崎津(港)がありました。
かしき石はその相応寺の塔(三重塔と推定)の心礎であるといわれています。
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※三重塔の石材の一部でしょうか?
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多くの奉納灯篭〜
※紋も
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四脚の手水舎
※明治期奉納手水鉢
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宦神奮
有名人居てますか?
※本邦製油発祥地碑
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嵯峨天皇の離宮があった河陽宮故址だとか。
※大正11年銘 大阪油商山崎講中
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油脂販売業者の店頭標識
昭和32年に全国統一標識として
油座の司、遷座1100年記念
に制定されたとか〜
黄と黒なら阪神タイガース色??
制作者は甲子園在住の島本昭三氏。
道理で〜〜
※油祖像
当社の神官が、貞観年間に「長木」という搾油器を発明し、
荏胡麻油の製油を始めたため、油祖の神としての信仰も篤いという。
こんな感じで献上されていたんでしょうかね?
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大正12年銘
金壱萬円(今なら約920万円!)
へぇ〜
帝国五分利公債
大阪油商山崎講主催
由水会
※摂陽大阪
備前屋宗兵衛
乗名(?)屋仁兵衛
油屋伊右衛門
川■屋六兵衛
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中門(四脚門)
※拝殿
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明治期銘の井戸
※
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本殿
※ん?
瀬戸内海をゆく油売り。。
大山崎町歴史資料館、見に行こう〜
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合祀された〜
※手水鉢
嘉永11年勝竜寺城主永井日向守奉献
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岩間に清水が湧き出した場所
石清水八幡宮の名の由来
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多くの神様が〜ここにも
※数奇な運命が在ったとか
三重塔基礎石
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菅原道真公腰掛の石
九州に流された折に座して
一首の和歌を詠んだとか
『君が住む
宿の梢をゆくゆくも
かくるるまでも かえり見しかも』
※石よ〜聞きましたか?
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此処にも祠が〜
※中門より
鳥居を望む
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新しめの狛犬
阿
※吽
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昭和7年銘
松田さん
※石清水八幡宮銘の
石灯籠
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裏門です〜
※ボタン桜が満開〜
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JR大山崎駅と大山崎の峰
天下分け目の戦い跡〜
※駅入り口です
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振り返れば〜
駅前風景
※国宝 妙喜庵
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扁額
※淀との関わり〜
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拝観予約がいるんですね
※
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千成瓢箪が〜
鮮やかに!
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大山崎町歴史資料館
見に来ましたで〜
天王山の蛙だそうです。
大阪見物の蛙と京都見物の蛙が
天王山で、お互い立ち上がり
目指す彼方を望むと住んでいるところと変わらない〜
諦めて帰ったという(鳩翁道話より)
目が背中に付いているから。。
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山崎の津(港)
から直線に道路
直行する西国街道
左右の小さな橋が境界。
こんな街並みだったんですね。
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