古/いにしえの面影       其の七百弐拾

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年04月18日 土曜日

京都府乙訓郡大山崎町(山崎聖天・天王山)

タケノコ採りに行けへん?

で、此処に〜
(こればっか!)

山崎の戦い(やまざきの たたかい)は、天正10年(1582年)6月に
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀に対して、
備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉が、
6月13日(西暦7月2日)京都へ向かう途中の摂津国と山城国の境に位置する
山崎(大阪府三島郡島本町山崎、京都府乙訓郡大山崎町)で、明智軍と激突した戦い。
古来天王山の戦いと呼ばれてきた合戦の現代的表現で、山崎合戦ともいう。
(Wikipediaより)


歴史の転換場所だったんですね。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


山崎聖天
ご近所の方は『(山崎の)聖天さん』と呼びます。

この階段が学校の近くにあれば、
クラブでトレーニングに使われるのでは…

※勿体無い。

仁王門〜

※桔梗紋

ホースが残念!

※亀の池〜
後ろに鳥居
天王寺さんみたいに
神仏習合

多宝塔〜





この段差。。

※本尊は十一面千手観音で聖徳太子の作。
江戸初期、木食以空(もくじきいくう)上人が霊元天皇の勅願により再建、
離宮八幡宮と同じく元治元年の「蛤御門の変」で焼失。
この再建は住友家、三井家、鴻池家らの援助によるもので
歓喜天が本尊の観音菩薩より有名となり、
山崎の聖天さんとして世に知られた。

神社のような〜

※本殿?
分厚い桧皮葺

アニメ主人公のような
狛犬〜


※吽
(レオ?)

御籤



撃たないで〜
お隣りの長岡京市は撃つんですと…
だから、こちらに流入してくるとか。

※少し混み加減?
でも、綺麗!

清楚な竹林抜けて〜

※JRからも見える
白い鳥居

酒解神社鳥居です

※左に瓢箪の馬印を立てた松(5代目)

山崎合戦の碑



淀川の向こうに交野山

※京都東山
市内も遠望できます。

東海道が走る橋本の街中が眼の下
真ん中の浮島状態は
狩尾神社(とがのおじんじゃ)

※右端の山は
男山
三川合流も眼下に

巨椋池も見えたんでしょうね。
大山崎JCTも〜

※うねる京滋バイパス
淀の競馬場も〜

山頂に陣取る秀吉に対して
光秀は麓に陣を張ったとか。
敗戦同日深夜、坂本を目指して落ち延びる途中、
小栗栖(京都市伏見区)で落ち武者狩りの
百姓・中村長兵衛に竹槍で刺し殺されたと伝わる。

※十七烈士の墓
1864年の禁門の変(蛤御門の変とも言う)の時、
戦いに敗れ天王山中で自刃した
隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓だそうです。

毎年10月21日に天王山十七烈士招魂祭が
有志によりとり行われてる。
新政府誕生の4年前、この方達も歴史の転換場所

※手水鉢
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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