古/いにしえの面影       其の七百弐拾壱

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年04月18日 土曜日

京都府乙訓郡大山崎町(酒解神社・天王山)

タケノコ採りに行けへん?

で、此処に〜
(こればっか!)

山崎の戦い(やまざきの たたかい)は、天正10年(1582年)6月に
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀に対して、
備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉が、
6月13日(西暦7月2日)京都へ向かう途中の摂津国と山城国の境に位置する
山崎(大阪府三島郡島本町山崎、京都府乙訓郡大山崎町)で、明智軍と激突した戦い。
古来天王山の戦いと呼ばれてきた合戦の現代的表現で、山崎合戦ともいう。
(Wikipediaより)


歴史の転換場所だったんですね。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


式内社 酒解神社
正式名称は自玉手祭来酒解神社
(たまてよりまつりきたるさかとけじんじゃ)

※合祀された三社宮

明治三五年銘の自然石標

※慶応の銘がある
折れた鳥居
禁門の変時の被災でしょうね。

酒解神社の創建は717(養老元)年で、
延喜式では名神大社と記された。
旧名は山崎社だそうで、
中世に、この地に遷座したとか〜
重文の神輿蔵は板倉形式で
奈良の春日大社の物より古いとか。
庫内には室町時代以前作という神輿2基が納められている。

※平安期に書かれた信貴山縁起絵巻に
同じ蔵が書かれてあると伺い調べたら〜
四角柱を重ねた物で、少し違うような〜



※鳥居残材

歴史遺産

※二次使用

楠にも神が〜

酒解神社拝殿

※本殿
覆屋に見えますね。

標高270.4mに着きました。
多宝塔(時代不明)

ケルン?

※天王山城井戸跡
この地に南北朝期に摂津守護赤松範資によって築かれた。 
応仁の乱(1467年〜)の頃には山名是豊が改修し利用
秀吉が大阪城に移るまで居城としたとか。

天守閣遺物?

※大阪城も見えるとか。
IMPも見えます〜

少し下がっても
この景色が〜
天下取った気分?

※砂防ダムが〜
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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