其の七百参拾参
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。 (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
明治30年代も半ばを過ぎようとしている頃、 大阪と神戸を結ぶ阪神電気鉄道が大当たりしたのを受け、 大阪と東京の双方で京阪間に私鉄を建設する構想が持ち上がった。 両計画は鉄道のない淀川東岸に鉄道を敷設する点で一致していたので、 両計画を統合して京阪電気鉄道株式会社とした。 発起人の中には明治期の大実業家、渋沢栄一男爵もいた。 彼の存在とその尽力により、政府との各種申請を有利に進めることができた。 こうして淀川西岸に続き、淀川東岸に京阪間2本目の鉄道が完成したのである。 (京阪電車HP、青春物語より) 此処の陸橋は私の幼稚園の近くにあり 少し遠いですが散歩コースにも入ってました。 前にも〜 (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)