古/いにしえの面影       其の七百参拾七

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年05月05日 水曜日

京都府京田辺市田辺棚倉(棚倉孫神社)
一説にはこの地は養蚕が盛んで棚倉とは蚕棚の小屋の意であり、
養蚕に関係のある神ともいうが定かではない。

推古天皇31年(623)9月に相楽郡の棚倉ノ庄より高倉下命(タカクラジノミコト)を勧請するとある。

『日本三代実録』の清和天皇、貞観元年(859)正月27日に畿内に
七道諸神進階及び新叙があり、267社の中に「棚倉孫神」が
従五位下から従五位上の神位を賜る。

手栗彦が棚倉孫(タナクラヒコ)に転じたともいわれる。

怪しい親爺わっぱの会で近くはUPしてますが

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


京田辺市中心街から北へ向かってたら
昔から、とても気になっていました。
天井川(木津川水系・天神津川)なんですね。

※立派な社務所と思えば〜
元神宮寺だったんですね。
(明治5年まで田辺小学校仮校舎としても使われたとか)

この段差が天井川…
神社も下に見えてます。

※反対側は
二階の屋根。。

明治24年銘の石柱

※見下ろしています。

石段下から〜

※天井川だけ見たら
普通の川なんですが〜

棚倉孫神社
養蚕との関わりも有るとかないとか〜
棚田説も捨てがたいと。。

※傾斜のきつい下に
駐車場(?)・公園は有ります。
田辺小学校開設の仮運動場ですかね。

平安時代以前からの天井川なんですね。
水害対策(?)で
もう一段高い場所に神社があります。

※氏子中 
常夜灯

※松寿院跡
神仏希釈により廃院と成った。
古文書には淀城主の鳥居寄進宛名が
社僧松寿院とか。。


天保14年(1843)の建物とか…
(安政5年)寺子屋から
(明治4年)仮校舎としての
 
梅鉢紋

※サルスベリの時期

茶碗のような
手水鉢

※小さな太鼓橋

金毘羅さん
桧皮葺
河川交通の守神



社務所かと思えば〜
式場ですって。

※元禄15年銘の石鳥居

拝殿社
両脇にあるのは橋の欄干?

※文政年間銘の狛犬

オースドックスな形ですが
スマートな体系の狛犬です。

※なにわ型

清楚な拝殿

※筆型?

正一位宝蓮稲荷大明神、
紅梅殿・老松殿(菅原道真由縁の境内社)
松寿院が当時管理してたとか、
春日大明神・天照皇大神宮・八幡大菩薩、
多賀神社、稲荷神社
の五社



本殿は一間社流れ作り
桧皮葺
此処にも擬宝珠型の
欄干



明治二九年銘の遥拝所
方向は神武天皇陵(奈良橿原)でしょうか?



擬宝珠型の
欄干
石垣の上の折れた物は、
灯籠でしょうか?

※蟇股は獅子

 天満宮さんには
撫牛が〜

※どなたかの後ろ姿にも似てません??
失礼!

絵馬
楓狩図
文政四年

※瑞饋神輿(ずいきみこし)

合戦図
文政一三年
左に神社鳥居も〜

※武者絵
天保八年


橋弁慶図
文政六年

※龍図

当社
参詣図
天保一三年

※武者絵

武者絵

※(漢人?)騎馬図

孔雀図(雨乞い)

※桃園結義図(雨乞い)

猛虎図(雨乞い)レプリカ。。

下は米寿の奉納マスカケだそうです。

※唐人船図
円山応挙の門下生画

神馬図
天保6年



俳句
天地人選ばれています。

※和歌

昭和21年
田辺町警防団
 
長寿地区でしょうね。
米寿を祝う「升掛け祝い」

ん?賑やかな神輿。。
よく見たら〜
植物で作られています。

※明治中期から昭和4年まで
作られていたんですね。
昭和50年に復活!
へぇ〜

瑞饋神輿(ずいきみこし)
棚倉孫神社の例祭に2年に一度くり出されるみこしで、
約30種の穀物や野菜など飾られ秋の収穫を祝います。
これには、26種類の野菜や穀物が使われ、
彩り豊かに町を練り歩きます。

※綺麗ですね〜

ほんとほんと!

※エエなぁ〜〜と…

頑張ってくださいね!

この段差!


いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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