京田辺市中心街から北へ向かってたら
昔から、とても気になっていました。
天井川(木津川水系・天神津川)なんですね。
※立派な社務所と思えば〜
元神宮寺だったんですね。
(明治5年まで田辺小学校仮校舎としても使われたとか)
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この段差が天井川…
神社も下に見えてます。
※反対側は
二階の屋根。。
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明治24年銘の石柱
※見下ろしています。
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石段下から〜
※天井川だけ見たら
普通の川なんですが〜
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棚倉孫神社
養蚕との関わりも有るとかないとか〜
棚田説も捨てがたいと。。
※傾斜のきつい下に
駐車場(?)・公園は有ります。
田辺小学校開設の仮運動場ですかね。
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平安時代以前からの天井川なんですね。
水害対策(?)で
もう一段高い場所に神社があります。
※氏子中
常夜灯
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※松寿院跡
神仏希釈により廃院と成った。
古文書には淀城主の鳥居寄進宛名が
社僧松寿院とか。。
天保14年(1843)の建物とか…
(安政5年)寺子屋から
(明治4年)仮校舎としての
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梅鉢紋
※サルスベリの時期
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茶碗のような
手水鉢
※小さな太鼓橋
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金毘羅さん
桧皮葺
河川交通の守神
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社務所かと思えば〜
式場ですって。
※元禄15年銘の石鳥居
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拝殿社
両脇にあるのは橋の欄干?
※文政年間銘の狛犬
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オースドックスな形ですが
スマートな体系の狛犬です。
※なにわ型
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清楚な拝殿
※筆型?
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正一位宝蓮稲荷大明神、
紅梅殿・老松殿(菅原道真由縁の境内社)
松寿院が当時管理してたとか、
春日大明神・天照皇大神宮・八幡大菩薩、
多賀神社、稲荷神社
の五社
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本殿は一間社流れ作り
桧皮葺
此処にも擬宝珠型の
欄干
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明治二九年銘の遥拝所
方向は神武天皇陵(奈良橿原)でしょうか?
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擬宝珠型の
欄干
石垣の上の折れた物は、
灯籠でしょうか?
※蟇股は獅子
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天満宮さんには
撫牛が〜
※どなたかの後ろ姿にも似てません??
失礼!
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絵馬
楓狩図
文政四年
※瑞饋神輿(ずいきみこし)
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合戦図
文政一三年
左に神社鳥居も〜
※武者絵
天保八年
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橋弁慶図
文政六年
※龍図
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当社
参詣図
天保一三年
※武者絵
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武者絵
※(漢人?)騎馬図
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孔雀図(雨乞い)
※桃園結義図(雨乞い)
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猛虎図(雨乞い)レプリカ。。
下は米寿の奉納マスカケだそうです。
※唐人船図
円山応挙の門下生画
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神馬図
天保6年
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俳句
天地人選ばれています。
※和歌
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昭和21年
田辺町警防団
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長寿地区でしょうね。
米寿を祝う「升掛け祝い」
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ん?賑やかな神輿。。
よく見たら〜
植物で作られています。
※明治中期から昭和4年まで
作られていたんですね。
昭和50年に復活!
へぇ〜
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瑞饋神輿(ずいきみこし)
棚倉孫神社の例祭に2年に一度くり出されるみこしで、
約30種の穀物や野菜など飾られ秋の収穫を祝います。
これには、26種類の野菜や穀物が使われ、
彩り豊かに町を練り歩きます。
※綺麗ですね〜
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ほんとほんと!
※エエなぁ〜〜と…
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頑張ってくださいね!
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この段差!
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