但馬の小京都、出石城下町
辰鼓楼が町のランドマーク。。
明治初期に建てられた時計台で、日本最古の時計台とされております。
辰鼓楼は元々、辰の刻(午前8時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く櫓があった場所に
1881年(明治14年)、旧出石藩・藩医の蘭方医、池口忠恕が長崎より時計技師2名を呼び寄せ、
オランダ製の機械式大時計を寄贈して、現在の形となっている。
(出石観光マップより)
※はい!ポーズ。
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コウノトリの最後の砦の街です。
再生しますかね。。
※街の旧郵便局も
大切に!
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可愛い出石城の天守閣
※良いでしょう〜
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但馬織物〜
※織物の街だったのですね。
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紡績でも賑わったんでしょうね〜
※電話番号表に誇りが。。
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敷地内の稲荷社。
※円山川に注ぐ
綺麗な流れ〜
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千本格子の綺麗な御家
※白壁も〜
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静かな城下町の様子〜
水の綺麗な所。
※昭和の風景〜
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神社も〜
※蔵の鏝模様に、
職人のニヤリが〜
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おりゅう燈籠
丸ポストと比べても〜デカイ!
谷山川の横手にある『おりゅう灯籠』は、江戸時代の年貢米や出石焼き等を運ぶ
十石船の船着場跡として今も残っている。
(出石観光マップより)
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黒壁、虫籠窓の蕎麦屋さん
※信州そばが元祖なんですね。
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歴史は古く、宝永3年(1706年)に信州上田から国替えになった
仙石氏により伝来したといわれています。
注文は至ってシンプルで、何人前かを注文するだけで
出石焼の小皿に盛られたそばと、薬味、徳利に入っただしが運ばれてきます。
伝統ある「三たて」(挽きたて・打ちたて・茹がきたて)
(出石町公式観光ガイドより)
※多くの有名店が有ります。
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お土産屋さん商店街
いや、おもちゃ屋さん。。
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出石焼
陶器屋さんも〜
※小さな古探しに
自転車でもう一度行きたいなぁと〜
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寿し梅さん
立体看板
われもの注意!
※悲しいなぁ〜
白壁ガンバ!
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おお〜エエなぁ!
倉吉とも違う街並み。
※宿場の様子も〜
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千本格子はウットリします。
※元、料理屋さん??
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元郵便局も蕎麦屋さん。。
※悠々と〜
街歩き。。
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こんな感じで巣作りしてたんでしょうね。
※TOPの丸ポスト〜
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客待ちの若い衆〜
※日曜市で野菜も〜安い!
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藤も年季が入っています。
※蕎麦脱穀機??
弁柄塗ですね。
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伊藤美術館
豊岡市立出石家老屋敷には、江戸幕府をも巻き込んだ御家騒動『仙石騒動』で
有名な出石藩筆頭家老・仙石左京が居住しておりました。
仙石騒動の発端は、藩政改革を推し進める仙石左京と
保守派の仙石造酒が政権を巡って争ったのが始まりでした。
この騒動により出石藩は5万8千石から3万石に減封となりました。
(出石観光マップより)
※出石城の背後、有子山の頂にある有子山城跡は、
かつて室町時代に全盛を誇った山名持豊(宗全)の6代後の当主・山名祐豊が、
山名氏の本城「此隅城」が落城した為、天正2年(1574年)築城した山城です。
しかし、織田信長の家臣である羽柴秀吉に攻められ有子山城は落城。
その後、前野将右衛門・小出吉政と城主が変わり、慶長9年(1604年)出石城が
築城されると有子山城は廃城となりました。
(出石観光マップより)
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明治9年の大火により
出石の街は灰燼に期した。
それまでは各町毎に屋台があったとか。
谷山区では唯一残された屋台が展示されていました。
祇園祭のように巡行されたんでしょうね。
※一杢の門も〜
木目が良いでしょう!
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ツバクロ大きくなって〜
今年も来ましたかね??
※家老屋敷に井戸が残されていました。
石垣のように切り立った石に職人のニヤリが〜
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髪の長い少女が
ミキスト乗って通りすぎて欲しい空間。。
※甍の波〜
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