古/いにしえの面影       其の七百九拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2009年04月04日 土曜日

大阪府大東市住道(住吉神社)

えいや~!大阪府内に戻ります。
江戸期の大阪市内には、
淀川(大川)と旧大和川が流れ込んでいました。
その後、先人の力で治水が良くなりましたが、
井路川(クリーク)が広がり道路状況が悪く、
寝屋川等の運河は、水運で栄えたとか。

上方落語『野崎参り』三代目桂春団治氏
聞きながら~

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


JR学研都市線(片町線)
住道駅

駅前の歩道橋から~
西側(大阪市内方面)
鴻池新田方面

※此の橋(歩道橋)です。
此処を挟んで北側に駅前(?)ロータリーが有ります。

大東市文化会館内の歴史民俗資料館
大和川の付替え図
中甚兵衛
我会でも

※大東市の、この辺りは前にも

足踏み水車
江戸時代のはじめ、寛文年間(1661年~1672年)に
大坂の京屋七兵衛 清兵衛が発明したものといわれます。

        足踏み水車とは、さや箱の中で回転軸に放射状に取り付けられた
        板羽根を人が足踏みすることで水を汲み上げる古式揚水機のことです。

名称は地域で異なっています。

概して「水車」と展示には記されています。
「すいしゃ」と読み、「みずぐるま」とも読みます。
踏車「ふみぐるま」とも呼ぶようです。

※ベルトコンベアーのような水車


三箇の城

平野屋新田会所跡
取り壊されたんですか~

弥生式土器
昔からの人の営み

※えっと何だったっけ?
スミマセン~

河内湖(海水)の名残が
クロベンケイガニの巣穴が
この辺りの古い地層から見つかるんですって!
考古学は色んな知識がいるのですね。

※人形

古くからの人の交流は
信仰も関係したとか~
水害に合わない
東高野街道は京都伏見 1 2 から
川船で八幡市 1 2 まで来て
生駒山の麓を通っていたんですね。

※墨で人面が描かれた土器も~

西諸福遺跡
弥生時代の遺構が出土したとか。
前にも

河内街道住道付近風景

※新町商栄会

河内街道住道付近風景

※現在のランドマーク的
マンション

住道本町商店街
アーケードと交差します。

※これも橋のような~

堤防の高さに唖然と~

※昭和47年(1972年)の大雨で、
寝屋川が氾濫し住宅地が床上浸水した。
友人のS氏は、その時の思い出を
とても怖くて、その後も水位が上がれば
思い出すと~

東(生駒山)方向
堤坊~、頼みます。。。



7.5m!

※恩智川銘
旧大和川水系ですね

入りたいなぁ~
この日は
城東区歴史探偵団なんで~無理でした^^;

※横目で~

建物の 二階部分まで
堤防が有るのです。

※堤防越えるために
峠を登ります~

寝屋川と恩智川との合流部に
住吉神社が有ります。

※小さなお堂なんですが~
歴史の生き証人ですね。

元々、新旧剣先船(川船)運送で栄えた此の地
神仏参詣や、荷物の集積地として
いくつかの浜が有り
寝屋川→観音井路浜・津之辺浜…
恩智川→中垣内浜・寺川浜…
それらの集積地が、角堂浜(すみのどう)
が地名由来とか。。

住吉大社から勧請したとか~

へぇ~
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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