古/いにしえの面影       其の七百弐拾五

怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 撮影日  2010年07月25日 土曜日

大阪天満宮(天神祭)道すがら〜樋之口町

すみません〜飛び級です!
緊急に・・・
天神祭の発祥は天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、
流れついた浜に斎場を設け、「みそぎ」を行ないました。
その折、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。
それ以来、船の数も増え、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には船渡御の形が整ってきました。
堂島川への土砂流入で船渡御が中止になったこともありますが、天下の台所と呼ばれた元禄時代(17世紀後半)以降、
天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ、享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、
新たにお迎え人形も登場し、祭りの豪華さは全国に名を馳せます。
幕末の政変や二度の世界大戦で中断があったものの、昭和24年に船渡御が復活。
また、地盤沈下の影響で大川を遡航するという現在の形になったのは昭和28年からのこと。
天神祭には幾多の変遷があり、その存続が危ぶまれた時期もありました。
しかしその度に困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速っ子の土性骨と心意気です。

(天満宮HPより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)


真夏日(35℃)の昼過ぎに
思い立って陸渡御を見に〜

榎並川跡通って〜

※川跡の名残〜
材木置場
(昔は川端に材木屋さんが多かったとか)

都島区も銭湯の多かった地区。

※JR引込線(旧国鉄貨物淀川駅)近くの
貨物施設だった家屋。
取り壊す直前〜

都島大橋より祭り準備OK!
北側(上流方向)
先は拘置所〜毛馬の閘門(見えませんが〜)

※マンション付近が船渡御の
Uターン地点。

北区樋之口町
慶長3年(1598)太閤さん命により旧淀川(大川)からの
運河・天満堀川(現在埋め立てて道路)
の取水口。。の名残の地名〜
近年、背高マンションが出来ました。

※先は大川に向かって…

ニャンコが多い路地でした。

※あ〜!前に飼っていた
我が家のゴンジロウに似た仔!

ジュリアンに似てる。。

※ニャンコが気になります。

路地中の水道流し場。

樋之口町辺りには阪神高速道路の長柄出入口が〜
ラブホテルも並んでいたんですが〜
現在は一軒だけ。

※天満堀川は現在、埋め立てられて道路〜
その上には阪神高速道路守口線
樋之口橋、夫婦橋、扇橋、梅ケ枝橋、綿屋橋、寺町橋
堀川橋、天神小橋、樽屋橋、菅原橋、太平橋の11橋

JR環状線が交差して〜

※煉瓦建物は前に行った
中西金属工場〜
 
JR天満駅と
川の名残の雁木に似た階段。

※こちらも、この段差。

川跡をノンビリと…

※大阪でも東京でも
高度成長期の都市成長パターン。。
街道のように〜
 



元、夫婦橋辺りから商店街へ〜
飴細工
 
紙芝居のオッちゃん!
題名は『桃太郎?』
?って何??

商店街を急ぐ子達〜
アマリ急いだら転けるでぇ〜
気ぃ付けや!

※商店街の町毎に
神輿があるみたい。

天三商店街

※カメラマンさん
取材中〜
何処か、お会いしたような。
多分。。。
 
賑やかです〜
祭りは参加しなければ。。。

※神輿〜
鳥居と天神さんが此処にも。。

大阪らしい商店街の
シンボル〜
賑やかですよ〜祭りみたい…
祭りです!^^;


大きな背中〜
足袋が似合います!

天満天神繁昌亭〜
前にも

※天神様の細道じゃ〜
大工口?
「浪華津に さく夜の雨や花の春」
西山宗因 句
いつまで知った景色があるのやら。。
頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら〜
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